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wake up  そろそろ起きようか。


整骨院の院長をしています。身体のみならず、こころも元気になるような、治療を心掛けています。2年前に人生上昇塾に出会い、そこで観念浄化ワ-クを実践し、今は、ツア-ガイドを担当させていただいてます。
by h-hikari37
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本当のしあわせ

自我はしあわせになろうとして、必死です。

その原動力は

何かが、足りない!と言う「欠乏感」と
ここままでは、いけない!と言う「強迫観念」です。

そして、自我はじぶんのことを穴があいたド-ナツと
思っているので、その穴を「欠乏感」と「強迫観念」で
埋めようとします。

もっと、お金があれば!
もっと、大きな家に住めれば!
もっと、良い車に乗れたら!
素敵なパ-トナ-が見つかれば!
良い会社に入れば!
良い学校に入れば!

きっと、しあわせになれるのに、
いつかは、しあわせになれるのに、

って本気で思ってます。

ところで、あなたは「いま」しあわせですか?
と、聞かれて「ハイ!」と言える人がどれくらい
いるでしょうか?

そして「ハイ!」と答えた人に
「あなたは、いま、なぜ、しあわせですか?」
と聞いたら、なんと答えるでしょうか?

その、答えによってほんとうにしあわせか、
これが、しあわせだ!って思ってるかが
わかるんですね。

続きます。

今日も、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

# by h-hikari37 | 2010-10-19 16:00 | しあわせ

自我とは

自我が芽生える、と言われるように
最初から在った訳ではないんですね。

生まれたての赤ちゃんは、本質の世界に
生きています。

何にも認識が出来ないんですね。

本質の世界は認識以前の世界なんです。

只、赤ちゃんは本質の世界に生きてる
と言う自覚が無いんです。

そして、7ヶ月ぐらいから自我が芽生える、
と言いますが、上昇塾では
「脳の認識」=「自我」と言ってます。

生まれたての赤ちゃんは目が見えない、と言いますが
本当でしょうか?

僕は、上昇塾に出会うまでは、本当だと思ってました。

30年間目が見えなかった人が、手術によって
目が見えるようになったのですが、
その瞬間、光の洪水だったそうです。

光の濃淡があるだけで、何もわからなかった
そうです。

それから、リハビリであらゆる物を認識していくわけです。

机の端はここからここまで。
この人は、誰々。

まさに、赤ちゃんがこの状態なんだと思います。

光の洪水の中に生きてるんだと思います。

見性された方で、こんな体験をしてる方もいるようです。
「本質の世界は光のタペストリ-だ。」って。

赤ちゃんが色々認識していってるのを
「段々、目が見えてきた。」って言ってるんですね。

そして、最初は親から
「あなたは、こんな子だ」「あんな子だ」
と言われ、成長するに従って、

保育園の先生
小中高の先生
友人、知人から
「あなたはこんな子だ」「あんな子だ」と言われ、
それが「本当の自分」だと、どんどん勘違いしていくんですね。

只、レッテルを貼られてるだけなのに。

なんて、書いてる僕も、完全に「自我」に
支配されて生きてきました。

「自我」からの支配権を取り戻す。
それが、観念浄化ワ-クなんです。

そして、最終目的は「見性」です。

今日も、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。  

# by h-hikari37 | 2010-10-16 16:38

本質の世界

その後、愛犬「ダイヤ」の散歩をしているときでした。

「何も認識しないで歩いてみよう。」と、思いました。

脳は見たもの、聞いたものを一瞬で認識
してしまうので、「本質」に触れることが
非常に難しいんですね。

木を見たら、「木」 車を見たら「車」
しかも記憶にあるメ-カ-、色、車種
と一瞬で出てきます。

思考とは過去のデ-タ-の蓄積なんですね。

そして、「見たまんま、聞いたまんま」と
呪文の様に口ずさんで散歩をしました。

木を見ても、「それは、それ」
車を見ても、「それは、それ」
人を見ても、「それは、それ」
何を見ても、「それは、それ」

すると、今まで数十年と歩き慣れた
並木道の木々が突然クッキリと
見えてきて、キラキラ輝いているんです。

またまた、感動です!

なんという、美しさ。

本当に、命溢れるエネルギ-を感じました。

2~3分もしたら又、元の景色に戻りました。

「思考」が働き出したのですね。

もう一回見ようとしましたが、それは
無理なことでした。

見ようとして、見られるものじゃないんです。

僕たちは、普段どれほど、思考に支配されてるか
と言うか、支配されてることに気が付いていない人が
ほとんどです。

「自我」=「思考」なので
人生を「自我」に支配されて生きてるんですね。

「自我」は自分が「本当の自分」と思ってます。
これが、最大の思い込みなんですね。

「本当の自分」は、「自我」ではありません。

「自分」-「自我」=「本当の自分」なんです。

この世界でどれほど成功しても、賞賛を得ても
「自我」を強化するだけで、「本当の自分」には出会えません。

「本当の自分」に出会う、といより「還る」為に
僕が、行ってる「観念浄化ワ-ク」

これは、すごいツ-ルなんですね。

いくら話を聞いても、わかりませんが
実践していくと、その効果には驚かせられます。

他にも、色々ツ-ルはあると思いますが、
僕には、このツ-ルがピタっと来ました。

最近では、「本当の自分」に出会えた人、
所謂、目覚め体験をされた方が
増えてるとネットでよく見かけます。

今、まさに「目覚めの時代」なんでしょうね。

2012年の「アセンション」
もうすぐですね。

ただこの「アセンション」に対して、様々な
表現がされているようですが、僕が思うには
「個々の目覚め」なんですね。

このブログのタイトルもそんな
想いからつけました。

今日も、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

# by h-hikari37 | 2010-10-12 11:26

3度目の至福体験 5

その日のお昼休み、昼食を食べに「トンカツ屋」へ
行きました。

オ-ダ-をして待ってる間も

「しあわせやなぁ-」と浸ってると、いきなりです。

周囲がクリア-になって、店内の
テ-ブルや椅子、テ-ブルの上に置いてある
ポットや調味料の容器の輪郭がくっきりと
見えて、キラキラ輝いてるんです。

離れた所で店員さんがお客さんのお皿に
乗せようとしているキャベツの千切りの
1本1本までがくっきりと見え、

自分のテ-ブルをみるとそこに
置いてある調味料の容器、グラスが
今にも動き出しそうなエネルギ-を感じて
押さえてしまいそうになり、

「なんや-!これは!」と思うと
す-っと元の景色に戻っていきました。

その間、1分足らずだったでしょうか?

「これが本質の世界か。」

感動しました。今まで見た景色の中で
最高に美しかったです。

僕たちは、こんなに命溢れる
躍動感に満ちた世界に生きてるんですね。

いつもガイドさんは、
「私達は、本質の世界に認識の世界を
重ね合わせて生きてるんです。」と言ってます。

何を言ってるのかさっぱりわかりませんでしたが、
この体験ではっきり理解できました。

知識で本質の世界を理解することは出来ませんが
本質の世界に対する知識が有ると、自分に
「それ」が起きたときに、自分に何が起きたかが
理解できます。

本質の世界に対する知識が無いと
何が起きたかわからないまま、
もったいないことですが、そのまま
人生が過ぎていくんですね。

でも、知識ばっかり増やしても頭でっかちに
なってしまうので、やはり実践が最も大事に
なってきますね。

僕はこの体験を通して思ったことは、
「だれでも出来る」と言うことです。

ただし、素直に実践すれば。

続きます。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

# by h-hikari37 | 2010-10-09 21:03 | 至福体験

3度目の至福体験  4

それから、毎日がしあわせ。

ただ、ただ、しあわせなんです。

2度目の至福体験でわかったことは、
外的な条件としあわせはリンクしないってこと。

そして、今回で3度目の至福体験。
より、理解が深まりました。

もっとお金があれば、しあわせになれるのに。
もっと仕事で成功出来れば、しあわせになれるのに。
良い彼女ができたら。
良い彼氏が出来たら。
大きな一戸建てに住めたら。

そうすれば、しあわせになれるのに。
いつか、しあわせになれるのに。

こんなこと、思っていたら一生しあわせには
なれない、ってことがわかりました。

本当のしあわせは、いつか成るものではなく
今、この瞬間に気付くことなんですね。

条件なんて一切いりません。

僕たちは、もともとしあわせなんです。
だから、これ以上しあわせには
なれないんです。

これは、理屈や思考では理解が出来ないと
思います。

自我がしっかり存在している以上
しあわせを外に求めるからです。

「あ-なった、こうなったら。」
「あれが、手に入れば、これが、手に入れば。」

まったく、切りがありません。

もしそれが手に入ったとしても
喜びも束の間。

失う怖れや、また次に欲しくなる。

結局、これの繰り返しで
幸、不幸を行ったり来たり。

これは、これでエキサイティングなんでしょうが
いつまでもやってられませんよね。

幸、不幸を超えたしあわせ。

それが、本当のしあわせなんですね。

巷には様々なメソッドがあるけれど
僕の場合は、浄化ワ-クを実践することで
「しあわせの中」に居てることがわかりました。

そして、その日のお昼休みに
またまた、新たな体験をしたのです。

続きます。

今日も最後まで、読んでくださり、ありがとうございます。

# by h-hikari37 | 2010-10-06 16:04 | 至福体験